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スポーツ・サービス系
木村 友香(2008年度・健康スポーツ学専攻卒)
リラクゼーション会社勤務

 木村さんはインストラクターを目指していましたが怪我で断念して、ボディケアサロンに勤め始めました。そこでの経験が木村さんを大きく成長させました。  

<2013.03UP>

———青年海外協力隊に参加した金崎さんから是非紹介したい人がいるいうことで、今日はお会いできました。木村さんは、今どんな仕事を?

 ボディセラピストです。「マッサージ」じゃなく、「リラクゼーション」とか「ほぐし」と呼ばれているものです。「マッサージ」は鍼灸などの国家資格がないとできないので。最近まで池袋にあるボディケアサロンで店長を務めていました。

———なぜ、ボディセラピストになろうと?

 学生の頃は人の身体に興味があったので、「インストラクターになろう。」と思っていました。テニス部で、超真っ黒でした。夜とか、本当に目と歯しか見えないくらい(笑)。シューカツを始めたのは遅くて、「え?みんなもう決まったの?私何もやってない!」って焦って始めました。
 10社ぐらいしか回ってないと思います。その中でフィットネスクラブのスポーツインストラクターが結構いいところまで選考に残ったんですよ。でもちょうどその時テニスで怪我して、足首の靭帯を3本切ってしまいました。水泳でちょっとバタ足したら足首がブランブランして超恐くて、「インストラクター出来ない!」と思い、選考を辞退しました。
 ある日フラッと行ったリラクゼーション会社で、「君、イイ!採用!」となって…。社長は韓国人で日本語も片言なんですけど、笑顔が最高にいいんです。日本に来てから会社を建てそれを広げていった人で、バイタリティーがあって目ヂカラがすごい。文化の違いで色々ぶつかることもあったんですけど、「僕はこうしたいんです。」と自分の思いをぶつけてくるアツい人でした。
「ここでいいかな」って思っちゃったんですよね。「やってみなきゃわかんない。」と、軽い気持ちで入ったんですけど、現実は甘くなかったですね。

———どんな会社ですか?

 全国展開している会社なので、セラピストは何百人もいました。でも正社員は数十人だけで、あとはみんな業務委託。私も最初は業務委託として入りました。私の時が新卒採用の3年目で、会社の受け入れ体制もまだちゃんとしていなくて、採用の段階では業務委託ということも知らなくて、研修の段階で初めて知ったんですよ。給料も完全歩合制だとわかりました。
 同期で採用された人が何十人もいたんですが、歩合制だとわかった時点で半分になっていて、実際に働き出してお客さんが取れずに辞めていく人が続出しました。私も、研修で入った店舗で歩合制で何十年も働いている人を見て、つくづく「社会ってこんな感じなんだ。」と思いました。でも私はなぜかみんなが怒るほどじゃなくて、「納得すれば平気。」と思ったので、そのまま続けたんです。

———歩合制っていうのは?

 よく街を歩いていると「ボディーケア60分で6000円」とかあるじゃないですか。私達の取り分は1分ウン十円なんです。60分担当して二千円ちょっと。完全出来高制なので、一日60分しか担当しなかったらそれだけです。一日平均200分やって25日働けば、まぁ生活は安定するといった感じです。でも一度お客様を掴んでしまえば、業務委託の方が社員よりたくさん稼げます。指名を多く取ってる人は、新卒でも3〜40万もらっている人もいました。
 私も池袋店では結構指名を取って、お店で一番になったりしたんですが、その時は社員になっていたから給料は変わらないんですよ。固定給で福利厚生もありますが20万いかない。「これは損したかも。」と思いました(笑)。でも色んな仕事を任せてもらって自分なりに成長できたので結果的には良かったと思っています。

———研修とか受けた?

 はい。現場に出る前に、全身のオイルマッサージとか、頭や足のケア、タイ古式マッサージなど、色々教わりました。就職が決まった12月くらいから研修をスタートしていて、スポーツマッサージやテーピングもやりました。そういうのは授業でやっていたので他の人より知ってたんですけど、かんじんのマッサージは、私は覚えが悪くてすごく時間がかかりました。
 4月に入って足立区のお店に配属され、この道10年の先輩にケチョンケチョンに指導されました。先輩は、高いお金を払ってマッサージの学校に行っていて、「それをどうしてあなたにタダで教えなきゃいけないのよ?!」って言われ(笑)。でも今思うと「そりゃそうだ!」って思います。
 「技術を盗め。」とも言われました。少しでも教わるために信頼を勝ち取らなくてはと、先回りして次の用意とか一所懸命やっていたらやっと、「じゃあ営業が終わった後に20分だけ教えてやる!」って言ってもらえました。

———初めてお客さんを触わった時は?

 もうテンパッちゃって、教わったものをひたすら繰り返しやってるだけでした。お客様のことなんか全く考えないで言われた事をそのままやって、それでお金が貰えると思ってた。会話も全くなくて「ありがとうございました。」ぐらいで、「なんて愛想がない。」って思われていたろうな。
 ベテランになると、お客様と話しながらその人がどんな生活をしてるのかを汲み取るんですよ。「どんなお仕事ですか?」って聞くだけで、普段どんな姿勢が多いのか、結構歩くのかデスクワークが多いのかとか色んなことがわかりますから。あとは触った感じでその人の身体の癖をみて、「この辺が疲れやすいな。」と思ったらそこを中心にやるとか。
 10年経験のある人とたった3カ月で覚えた私が、お客様にとっては「60分6000円」の同じ値段だということが信じられませんでした。当然、技術ではかなわないので、どうやってお客様に「良かった」って言ってもらえるか、自分の働き方みたいなのをそこで考えさせられました。
 でも気持ちを込めて触っていると、そういうのは不思議と手から伝わるんですよ。逆によそ見したり、意識を他に向けたりしてると、お客様はすぐに気づきます。本当に人のことを思って仕事してるのと、1分1秒でも早く終わせたいと思ってやるのとは、大違いで、セラピストっていう仕事は「気持ち」が大事なんだとわかりました。
 7月に店を移動になりました。その時に社員か業務委託かを選ばせてもらえて、私は社員になりました。

———移動になったお店は?

 新宿の靖国通り沿いの新規オープンのお店で、居酒屋などが入っている雑居ビルの1階。前はタバコ屋か何かだったのか狭くて陰気な部屋で、階段の真下だから天井がどんどん下がってくるんです。そこにベッドが2台と足のチェアーが一台…。
 店長はいるんですけど、他の店と掛け持ちなのでほとんどやって来ません。開店の朝10時からから閉店の夜11時までずっと私ひとりだけでした。朝は通勤途中の人がバーって通るんですけど、誰も立ち止まってくれないし、店の前に看板が一つあるだけで、「こんなんでお客さん来るの?」って思いました。
 待っていても誰も来ないので、チラシを作って通りに立ってみました。「配ってるうちに顔を覚えてくれるかも。」って思ったんですよ。毎朝、同じ時間に通りに立って、笑顔で「おはようございます、今日も一日頑張って下さい。」と言っていました。
 そうするとたまに、「何なのここ?」って言ってくれる人がいて、「マッサージやってるんですよ。是非来てください。」って。そのうち飛び込みで、お客様がぽつぽつ来てくれるようになってきました。でも自分の給料や家賃とか考えても、売上げはまだまだ及ばず…。台風の日なんかお客様ゼロで「ガーン!」っていう日もありました(笑)。
 それにしても、お店のオープニングをついこの間まで学生だった新人に託すってすごいですよね。他に誰も話す人もいないし、自分なりにどこにベッドを置いてどこにカーテンをひくか考えて、お客さんやスタッフの動線を考えて水道の蛇口をずらしたり、ライトの色合いを決めたり…。そんなことまでやらせてもらえるなんて「さすが中小企業!」と思いました(笑)。
 そうこうしているうちに徐々にお客様も増えてきて、3カ月経つ頃にはほとんどがリピーターになっていました。

———どんなお客さんが来ました?

 夜9時ぐらいに、おじさんがバーンって入って来て、もうすごい疲れてるんです。ベッドにバタって倒れて「営業時間終了までマッサージしてくれ。」って。営業でたくさん話をするらしく、来た時は「もう口もききたくない。」って言うのに、いっぱい話をしてくれて(笑)。でも次に来た時は無言で寝てるだけ…。
 40代のお母さんがふらっと来て「20分」。20分は2000円なんですけど、ほら、私達の計算だと20分×ウン十円じゃないですか。「たったの20分か。」って内心思っちゃうんです。だけどそこは笑顔で、「はぁい!じゃあうつ伏せでどうぞ。」って肩周りを触っていたら、突然ボロボロボロ泣き始めて!急いで「ごめんなさい、痛かったですか?」って聞いたら、「何でも無いの。ありがとう。」って帰っていかれて…。
 翌週また同じ人が来て「20分」。そろそろ終わる時「この間はごめんなさいね。」って色々話しだして、「実は息子が不登校で…、中学校の卒業式も出てなくて…。」卒業して息子は働きだして、「お母さん、これでマッサージに行って来て。それを俺にもやって。」と言われ、息子から貰った2000円を握りしめて来てたらしいんですよ。
 中学卒業したての少年にとって2000円は大金ですよね。それを「たったの20分か。」って思った自分にもう「バカ死ねっ!」って思いました。

———ずっとお店に一人で?

 会社には、「一人じゃ休みも取れないし、もし2人連れのお客さんが来たら困ってしまうから、誰でもいいから一人ヘルプを入れて下さい!」ってずっと言っていました。ようやく送りこんできた人が、「交通事故に遭ってリハビリ中にマッサージの学校に行った。」という30代の男性でした。
 その人、触り方は一生懸命なんですけど、事故の後遺症でマッサージを始めると手が震えるんですよ。「ええ〜!」って思ったけど、聞き上手なのでおばさまにはすごくウケがいいんです。「やっぱり技術だけじゃないんだ。」って思いましたね。その人は今、障がい者の施設でマッサージを指導しています。
 お店も軌道に乗ってきた頃、社長に「明日、ちょっと早めに来てくれ。」と言われて、行ってみたら「今日でここは撤退だ!」と言われてびっくりしました。どうもそこにお店を作ったのが会社のミスで、でも契約期間内はやらなきゃいけないので、やむなく3カ月間だけ私を送り込んだらしいんです。
 「次の店は決まってない。」って言われ、しばらく新宿の別のお店や横浜、成城など色んなお店を転々としていました。その時、池袋店の店長から「ここでやってみないか?」って声をかけてもらい、10月から池袋店で働くことになりました。

———池袋店はどんなお店?

 お店のスタッフは30人くらいで、店長は33歳の男性。ビルのテナントとして入っていて、スパに付属する施設として営業していました。昼の12時から翌朝5時まで営業していて、昼と夜の2部交替制で働いていました。お客様は、30代から50代までの男性、20代から40代女性の方が多くて、昼間は、仕事をしていないご夫婦とか、営業の合間のサラリーマン、午前中に仕事を終わらせてふらっと来る社長さんとかもいました。
 スパにはだいたいリラックスしにくるので、お客様は取り込みやすいんですよ。ちょっと「疲れてませんか。」って声をかけると「疲れてるねー。」「お試ししませんか?」「じゃあちょっと。」と、そんな流れになりやすくて、営業にはいい環境なんです。
 ただテナントなので、スパを経営しているビルの運営会社から色々と指導を受けるんです。「今スパはこういう方向だから、あなた達もその方向に向けてやってくれ。」という感じで、お客様の属性ごとに色んな策を打ったり、結構スピード感のあることを求められました。
 ビルの運営会社の支配人は40代の男性で、ビルの親会社の創業者に育ててもらったらしく、人を見る力や気遣いにたけていました。「ここの施設に来てくれるお客様には、全員笑顔で帰ってもらいたい。そのために常にお客様目線で出来る事はなんでもする!」という姿勢で、私たちも「お客様の持ち物や目の動きで、新規かリピーターか、その方の要望や悩みまで見極めろ。」と言われました。
 ついこの間まで研修をやっていて、そのあと靖国通りで手が震える人と働いていた私にとっては、ハードルがものすごい高い店でした。

———店長より支配人の意向が絶対?

 そんな感じです。支配人は、私が新宿店でチラシを配ってお客様を集めたと聞いて、なぜかかわいがってくれて、色んなことを教えてもらいました。私が作る資料に「気持ちがこもってない!」とか、「仕事と作業の違いは何だ?」とか、色んな課題を出してくれたり…。
 震災の時、上層階だったのですごい揺れてお湯が3分の1まで減っちゃったり、肌で恐怖を感じました。でも幸いにも怪我人はなく、地震の後牛丼屋に行って、戻ってきたら支配人がめちゃくちゃ怒っているんです。
 我々の商材で避難路が塞がれていたからです。商材をぐちゃぐちゃに倒して「これを見ろ!火災が起こったら、お客様はここで死ぬんだぞ!地震現場では暖も水も食もない。そんな中でお前は牛丼食ってたのか!」って。みんな疲れて精神的にもダウンしそうな時に、そんな風に怒るってすごいと思いました。
 池袋のお店は20代の女性のスタッフが多くて、男性店長の言うことはあまり聞かず、みんなの気持ちもバラバラでした。地震のしばらく後に、支配人から「このままだと、他にもっと良い会社があるからそことチェンジするよ。」と言われちゃったんです。私は「せっかく移ったのに、また職場がなくなっちゃうのか。」って思い、ガーンとなりました。
 その時、支配人から「もう一回チャンスをあげるから、君が店長になってやってみないか?」って言われたんです。「任せるからお店を自由に作ってみろ。」って。「ええーっ。」と思ったけど、このままだとお店がなくなっちゃうなら、やるしかないじゃないですか。それでついこないだまで学生だった私が4月から店長をやることになりました。

———大抜擢だね。他のスタッフはすんなり従ってくれた?

 店長は「もうとにかく木村さんを支えます!」と言ってくれて。私はお店では中性的でサバサバしてるように見られていて、年上のスタッフも「まぁ木村だったらいいか?」みたいな感じで、他の人もすんなりついて来てくれました。その辺はやっぱり体育大出だからですかね?
 私は数字関係が全然出来ないので、前年比何パーセント売り上げで今月どれぐらい見込むとかそういうことは元店長に全部お任せして、スタッフの教育や人事は私が見ることになりました。どんなお店にするか、どんなスタッフになってもらうか、どこを目指して行くのか、そこに向かう為にはどうしたら良いのかとか、毎週ミーティングしていました。私は人前で話すのがすごく苦手で、ミーティングが終わった瞬間大泣きしたこともあります。
 新人の教育では、どんな気持ちでお客さんに接するのか、どんな事に気をつけて言葉掛けをするのか、「リラックスしたい人に元気よく『こんにちは!』と言ってもリラックス出来ないでしょ。じゃあどういう声のトーンがいい?」とか、細かい所まで指導しながらやってました。

———店長になってどうでした?

 私は店長になってからも、セラピストとしても常に1番を走ってないといけないと思っていたから、店長の仕事だけじゃなくみなと一緒にお客様も担当してフロアにも出ていました。だから、ちょっと頑張り過ぎましたね。
 スタッフと同じ時間に働いていないとみんながついて来ないと思ってたから、昼間の勤務でも翌朝までいて、スタッフの表情からお店の状況を感じ取ったり。みんなが困ってたり苦しい思いをしてるのを見るのが嫌で、スタッフの事を考え始めたら時間がいくらあっても足りませんでした。
 お店の1カ月の売り上げが約2千5百万円なんですけど、毎月初めにどれくらい売上を見込むのか予想して、月の半ばと月の終わりに支配人に報告をするんです。予算が未達になりそうな時は、「あと◯百万足りない。どうするんだ!?」って言われるんですよ。「どうやって足りない分を売り上げるのか施策を考えろ!」って。
 足りない分を日割りして、あと何人お客さんを増やせばいいのか割り出し、増やすにはどうしたらいいのか考えて…。と言っても「声をかける!」とかそんなことしかできないんですけど、「みんな頑張って声をかけ、今日来てくれた方にまた来週来てもらいましょう」とか。
 「売り上げ、常に2500叩け!」っていう状況は、正直、自分にとってはプレッシャーでした。「サービスを磨いて差別化をはかれ。」って言われても、スタッフのサービスのレベルや技術は、同じ人がやってるからどうしても頭打ちになっちゃうんです。「お客様が求めてるものを1歩先読みして行動しろ。」って言われて「もう先ってどこョ?」みたいな感じなんですけど、とにかくそういうスタッフに育てて行くのをミッションとしてやっていました。

———重責によく耐えられましたね?

 店長をやってた1年半は、いつもお店の事を考えていました。スタッフには弱いとこを見せられないし、色んな事に気を使ってかなきゃいけなくて、切り替えが下手だから全てを自分の中に溜め込んでいってしまいました。
 店長になって1年たった頃から、不思議なことに、今までできた簡単な事ができなくなってきたんです。約束の時間が守れなくなったり、何か考えてる時に、脳みそが突然スイッチのようにプツンと切れてパソコンの前で意識を失っていたり…。
 フロアに出てる時は、ピリッとしてるんですけど、フロアから離れた瞬間にグターっとなってしまって。その時は「自分に心の甘さがあるからだ。」って思いました。寝てる時も、「今月いくら足りない。」とか、「あの子は今日暗い顔してた。何があったんだろう?」とか、常に考えていて熟睡できないんですよ。
 身体と心はやっぱり繋がってるんだなって思います。そのうち、散歩しても景色に感動しなくなったり、回りの色が全部グレーに見えるんです。心も動かなくなって、全てに対して興味が沸かなくなってきました。精神的にも体力的にもボロボロで、これ以上店長を続けていたら自分がダメになると思い、辞めさせてもらいました。

———頑張り過ぎちゃうと、それをずっとやり続ける事は出来ないよね。

 上の人が見てて、ちょっと手を抜かせないとだめなんだなと思いました。私の下にいた子も頑張り屋さんだったので、みな苦しそうな顔をして、それでも「ついて行きます!」って言われて、「うぁっ!」ってなって、そういうのがもう途中で恐ろしくなっちゃって…。その人の人生を握っているような気がしてきて。

———すんなり辞められました?

 実は今も社長が、退職届を受理してくれないんですよ。「木村さんは疲れたんだ。ちょっと休憩した方が良い。」って。だからまだ、会社には籍があって、今もまるまるじゃないけどちょっとずつ給料もらっているんです。

———後任の店長はどうしたの?

 元店長にお願いしました。人を見るのは別のスタッフにお願いして。一人のリーダーが最大で見れる人数って5人ぐらいなんですって。大体そのぐらいの人数で、リーダーとスタッフの組み合わせを作って、リーダーは店長に報告してみなが協力してやるようにして。前の店長は四面楚歌だったけど、そういう体制を作れば店長を支えてくれるし。

———木村さんの経験はきっと今後に生きてくるでしょうね。

 本当に濃い、10年分ぐらいの経験を積ませてもらったと思います。同期のみんなに久しぶりに会って話したりすると、みんなに「一体どうしたの!?すごく老けたわね。」って言われて。「そりゃ老けもするわ。」って(笑)。

———この先はどうするつもり?

 1カ月ちょっとゆっくりして、ちょっと気持ちが落ち着いてきたので、「今度は何やろうかな?」って色々考え始めています。今度は続けられるような仕事をしたい。でもやっぱり今までやった経験を生かしていきたい気持ちは強いですね。人の成長を見るのはとっても楽しかったので。
 あれだけのことはもう無理かなとか思うんですけど、人を見るとか、自分の経験を人に伝えて行くような仕事がいい。人事かなと思ったり、分野を変えてサービスのクオリティーを上げていくとか。サービス業っておもてなしじゃないですか。私がやっていたおもてなしの気持ちは、他でも絶対生きてくると思うんですよね。
 この間、久しぶりにテニスしたんです。「出来るかな?」って思ったけど、もう顔を真っ赤にして、口が血の味がするぐらいやったらめっちゃスッキリして。「ああ、まだこんな気持ちになれるんだ。」って思いました。
 結婚もしたいけど、今は働きたい気持ちの方が強いです。将来は老人ホームに入って、「私の人生こんなんだったわよ!」って自慢できるようなおばあちゃんになりたい(笑)。